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管理人の体験談―英語と私



| ど田舎に生まれて | 英語との出会い | どこにでもあるスタート | 英語検定試験へのチャレンジ | 「ラジオ英会話」でリスニングを鍛える | 読めれば聞き取れる、聞き取れれば読める |



P R O F I L E
今からかなり前に誕生。中学校から英語を学習し始める。中学時代に英検2級を取得。高校時代に日常会話をマスター、英語クラブ (ESS) に所属。アメリカ人留学生のお世話係をしながら英語の上達を図る。大学の専攻はスペイン語でありながらも、やはり ESS に所属する。卒業後、とある広告制作会社で英文ライター業務を担当。パートナーのアメリカ人ライターのライティングスタイルを盗みながら書く英語をトレーニング。その後、広告代理店の海外部門において、翻訳・ライティングのかたわら、英語での企画書作成、企業グループ内の国際会議やミーティングの主催、プレゼンテーション、海外子会社とのリエゾン担当などの業務を経て、現在はフリーランスで翻訳ライターを主ななりわいとする。




映画ドラマの英語表現
英語ドラマの
英語表現
   独学にピッタリなのが英語圏のドラマや映画。英語圏に行かない(行けない)だけに英語圏の環境をいかにして自分の生活に取り込むかが上達のカギ。こういうときはこういうふうに表現するんだといった発見もあり、自分の英語表現がますます本場の英語らしくなります。

英語の発音
「エ」の口で「ア」と発音… そんな覚え方もいいけれど、英語の発音というものを体系的に捉えてみませんか?目から「うろこ」も落ちるかも。

英語の句読点
押さえてますか?英語の句読点の正しい使い方。適当にマルや点をつけておけばいいというものではありません。
ど田舎に生まれて
みなさん、こんにちは。管理人のrondeです。私は今からずいぶん昔に、九州は福岡県の片田舎に生を受けました。生まれた日は、そう、あのシェイクスピア (Shakespeare) と同じ日です。だからどうだってことはなく、星占いを信じているわけでもないのですが、不思議な「ご縁」を(勝手に)感ずるもので、だからといって彼の作品をそれほど読んでいるわけでもないのですが、クリエイティブな言葉の組み合わせでユニークで豊かな表現を生み出す「表現の発明家」として尊敬している作家でもあります。

それはさておき、前述のように、私の生まれ育ったところは「ど」がつく田舎なので、電車もなければ、本屋もない。スーパーもなければ電気屋もない。1時間に一本しか来ないバスに乗って外を見渡せば、山、山、川、山で、今では過疎化と自家用車の普及で、そのバスも、ときどき小さなバスが走っているだけ。もちろん会話学校なんてものがないのは言うまでもなく、外国人の姿なぞいまだかって見たこともなく、まさに「生まれたところが悪いのか」という英語を学習するには最悪の環境と言ってもいいでしょう。学校を卒業しても就職先は「農協」「町役場」「教師」だけしかありません。幼い頃は、文字通り野山をかけめぐり、夏の夜には蛍狩り、川原で石を投げたり投げられたりしてケンカもし… といった、今の子供たちとはちょっと違った生活を送っていました。もちろん、塾なんてものもありません。そんな環境にありながら、あるいは、そんな環境だったからこそかもしれませんが、子供心に「未知への好奇心」や「異文化へのあこがれ」のようなものがあったようです。

小学校も高学年になると、学校から帰ってやることと言えば、マンガを書くかテレビを見ること(もちろん、勉強なんてしません)。その頃は漫画家にあこがれ、少女マンガなどを描いていたのですが、一度母親に見つかって原稿を破り捨てられたという経験もあり、親の前ではマンガを描くのはご法度。もっぱら親のいるときはテレビの再放送番組を見ていました。なかでもお気に入りは「宇宙家族ロビンソン」 (Lost in Space)、ウィル (Will) という登場人物の少年に密かにあこがれていたのを思い出します。この頃は、二ヶ国語放送などというものはありませんので、日本語の吹き替えで見ていたのですが、その頃から、宇宙モノや海外モノに興味があったような気がします。「異次元の世界」などという言葉に惹かれていましたが、だからと言って、科学を勉強したいなどということは考えることはなく、「理系」には弱いという DNA を受け継いでいたのかもしれません。

英語との出会い
さて、そんな「ど田舎」のカントリーガールとして育った私が、初めて英語と遭遇したのは、車で1時間以上走ったところにある小倉という都会(私にとっては)の大きな病院に行ったときのこと。当時、小児喘息を患っていた私は、近所の診療所の治療では効果がなく、父親に連れられてその病院に通っていたことがありました。そんなある日のこと、(たぶん)アメリカ人とおぼしき家族が治療に来ていたのです。これが、物心ついてから初めて遭遇した西洋人だったのではないかと思います。まあ、田舎者ですし、実際に金髪で青い目の西洋人を見るのは初めてなので、たぶん、もの珍しそうにじろじろ見ていたかもしれません。そのときに、その家族が話していたのが(たぶん)英語だったわけで、そのことが妙に不思議だったのを覚えています。そのときの心境をイメージしてみると次のようになるでしょう。


同じ人間なのに、髪の色が違う、目の色が違う
同じ人間なのに話している言葉が違う。

海の向こうには、どんな人たちがいるのだろう?
そしてどんな言葉を話しているのだろう?

いつか海の向こうの人たちの言葉を覚えて
その人たちと話がしてみたい。

あれから何十年も経った今、当たり前になってしまっていますが、ふと考えると、幼い頃の夢がかなって、こうして、外国語で外国の人たちとのコミュニケーションが楽しめるようになったことは、なんとも幸せなことだと感じています。