英語は日本でマスターできる
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Last update January 1, 2015

可能性広がる若年層の英語学習



生まれた時代が悪いのか?

このサイトでこんなことを言っても仕方がないのですが、今の若い人たちの置かれている状況には、ほんとに厳しいものがあります。オヤジ世代が若いころは、男女の差はあったとしても、とりあえず大学出ていれば職につけたし、大企業にでも入社しようものなら、後はエスカレータ式に最低、課長までは出世。終身雇用制度で将来は安定、クビになる心配はない。英語がちょっとできればなおさら良い。アメリカに5年いました、といえば大歓迎。たとえ、親の金で遊んで暮らした5年間でも「アメリカにいた」のは紛れも無い事実。

しかし、今じゃ、就職するのもラクじゃない。アメリカの大学を卒業していても派遣の採用すらむずかしい世の中。社員になれたとしても、リストラされた中高年の代りに、安い給料で同じ仕事をやらされたりする。おまけに高齢化社会とやらで、人数の少ない若手労働者が、人数の多い高齢者を養っていかなければならないなんて こんな時代に生まれるんじゃなかったよ。とは言っても、生まれる時代を選べるわけもなく、今この厳しい時代に置かれているのが自分。これを認めないわけにはいきません。

しかし、こんな時代でも、良い面がないわけではない。年功序列や終身雇用で守られていた時代は、確かに安定はありますが、集団重視主義であり、あくまでも集団としてのパワーが重要視された時代です。そこに、才能や能力の高い一個人がいたとしても、出る杭は打たれてしまいます。組織で生きていこうとすれば、抜きん出た「個」としての存在は邪魔者以外の何者でもありません。極端な言い方をすれば、特殊な才能は出してはいけない、人と異なった能力は必要ないという暗黙の価値観があったのです。組織の中で生きるために、自分の持っているものを押し殺しながら、周囲と歩調を合わせて、横並びの行進。集団の中で埋没して生きていくというのは、個性ある個にとっては、辛く苦しい部分があったはずです。

さて、今、こういう時代になって、いきなり、企業は個人に問いかけるのです。「キミは個人として何ができるのか?」 会社も勝手と言えば勝手ですが、別の見方をすれば、良い意味での「個人主義の時代」が訪れたのではないか、ということもできるのです。一人一人の持っている才能や培った能力を表に出しながら生きていくことのできる時代。本物が本物として評価されていく可能性のある時代。個性が輝く時代、そういう時代がいよいよ到来。そんな時代に、まだ若者でいられるということは、なんとラッキーなことか、自分の可能性を余すことなく試すことができ、個性や才能を活かしながら生きていけるのです。

人とは違ったことをする

人とは違ったこと、人にできないことと言っても、社会のルールや人の道を踏み外すことではありません。誰にもできない悪いことをしてやろうとか、「一度逮捕されてみたかったので、コンビニでカップラーメン失敬してみました」とか、「社長がどんな手段でもいいから、会社に金をもたらせ、というので、自分なりに考えて、銀行強盗なんかしてみました」といったことではないのは確かです。最近、こういった「短絡的な」思考が目立つようですが、人間としてのルールや決まりを守れないのは、ひとつは精神の脆弱さかもしれません。じゃあ、どこまでが「個性」でどこからが「悪いこと」なのかということになりますが、人を苦しめない、迷惑をかけない、というのは、人間社会での共通のルール。これは、相手の立場に立って考えてみれば、容易にわかること。一般常識が守れない言い訳として「個性」という言葉を使うのは避けなければなりません。

一口に「人とは違ったこと」と言っても実際は難しいものがあります。日本人は特に「個人」を重視する生活環境、教育環境にありませんから、まわりの人がやっていることをとりあえずやっておこう、といった発想になりがちです。隣の子供が英語を習いに行っているからウチの子も、みんなが留学しているから私も、TOEIC の勉強してたら就職に有利だから自分もなど、右にならえをしてきた結果が、今のような英語はできても就職がないという状況を生み出したのかもしれません。TOEIC ○○点以上、英語圏で大学を卒業といっても、他に同じような能力の人が大勢いるわけで、結局、人と違った、人にできないことにはならないわけです。

TOEIC や英検の勉強が悪いと言っているのではありません。しかし、それをやっている人が多いわけですから、当然、競争率は高くなります。自分へのチャンスはそれだけ低いものになってくるのは言うまでもありません。「いいんです、そういう過酷な競争にさらされていることが好き、ワクワクするんです」、という人は十分にその状況を堪能していただいたらいいのですが、自分は人に無いものを身につけたいと思うのであれば、いっそのこと、そういった「お決まりレール」から降りてしまうのも一つの方法です。もう、英語なんか止めて、スワヒリ語を勉強することに決めました、というのもいいと思います。需要のほどは保証できませんが、スワヒリ語に限らず、できる人が少ない言語などを習得するほうがよほど希少価値があるわけです。

英語だけでいいのか?

また、これから先、英語ができるという人は過剰傾向にありますから、TOEIC 900点というだけでは、あまり差別化にならないでしょう。筆者も翻訳などを依頼する側に立つこともありますが、翻訳者を採用する場合、TOEIC の点数などはあまり当てにしていません。もちろん、英語のレベルが低すぎると話になりませんので目安にはしますが、それだけでは、はっきり言って何の役にも立ちません。たとえ TOEIC の点数がさほど高くなくても、知識の広さや深さ、翻訳などですと、文章がきちんと書けるか、サービス精神があるか、想像力と創造性、責任感や人格はどうか、といった面でOKであれば、間違いなく採用するでしょう。逆に点数が満点だったとしても、英語の知識しかなくて一般常識も知らない、専門分野がない、文章も下手、頑固で気が利かない、おまけに高慢な性格… などであれば、まず採用しません。よく言いますが、英語とは手段。それを使ってどんなことができるのか、どんな知識を英語で表現できるのかが大切です。そういう意味では、TOEIC というのは、たいして参考にならない場合もあるのです。

さらに、10年後、20年後を見たときには、外国語を手段として実務ができる、というのも英語だけではツライものが出てくるでしょう。現在の中高年世代であっても、英語以外にもう1ヶ国語くらい外国語ができる人が少なくありません。これから先、語学に関していえば、英語以外の言語を加えた何ヶ国語かを手段に何かができる人というのが求められる人材になってくるだろうと思われます。ですから、TOEIC の点数をあと1点上げるために努力する時間とエネルギーを、何か他の言語の習得に使うとか、それこそ、英語で表現できる分野を増やすための勉強をするとか、そこに、自分の持っている個性と絡み合わせながら、もっと大きく、広い勉強に切り替えていくというのも未来を生きるカギになるかと思われます。



スペシャリストかジェネラリストか?

これからは「スペシャリスト」の時代だ、などと言われますが、語学を活かした仕事をするには「ジェネラリスト」でなければいけません。言い換えれば、英語のスペシャリストであるためには、英語のいろんなことを知っておく必要があるからです。英語を理解しないにとっては、英語ができるということは、どんな分野のどんなことであっても、英語で書かれている限り理解できるはずだということになるようです。つまり、実際、こういうことが英語のできる人に対するニーズになるわけです。なぜ、英語のスキルのある人が必要かと言えば、英語ができない人がいるからであって、世界中のすべての人が英語のできる人になれば、私たちのような英語を使って仕事をしている人材は必要ないわけです。英語ができない人がいるために必要とされる英語のできる人であって、英語のスペシャリストなのです。ですから、「英語のスペシャリスト」とは、「英語のできるジェネラリスト」でなければ意味がありません。

通訳や翻訳をするときに、各方面での知識や造詣がないときちんとした仕事はできません。かって、マッキントッシュのコンピュータが出始めた頃のこと。「アップルコンピュータ」というのをある通訳者が「りんごコンピュータ」と訳したのは有名な話です。その業界では当たり前の常識が通訳者にも求められるのです。もうひとつ、同じようなエピソードに、JavaBeans というプログラムの名前がありますが、これを知らない通訳者が「ジャバ豆を使って」と訳してしまったという話しもあるようです。英語自体のレベルアップも当然、怠ってはいけませんが、こういったいろんな業界の知識などをもっと勉強すべきだと思うのです。もちろん資料などは依頼先からもらえたりしますが、ベースとなる基本知識がないと、ポイントを押さえた訳というのはなかなかできないものです。

何も、自分は通訳や翻訳をやろうとしているのではなく、英語を使う環境で働きたいんだ、という人もいるでしょう。そういう人は、英語だけでなく、その企業や職種においての専門分野の知識や理解度がポイントになります。国際企業で英語圏の人たちと互角に渡り合って行こうというのであれば、英語のほうも英語圏の人と同レベルでなければ話になりません。とはいえ、日本で生まれ育った人であれば、どうしてもハンディがあります。英語は英語圏の人より落ちる、専門分野の知識は同レベルとなると、当然、あまり重要な仕事は任せてもらえません。彼らと差別化できる何か――それは、英語以外のところ、つまり、専門分野でいかに差別化を図るか、ということになるのです。いずれにしろ、エイゴ、エイゴとエイゴばっかり勉強していても、あまり効果の上がるものでもなさそうです。

食わず嫌いをなくす

では、そういった幅広い知識を身につけるにはどうしたらいいか、ということになります。とにかく、若いのですから、何でも食べます。といっても勉強のことで、「これは嫌い、これは好き」なんて言っていては知識は広がりません。いろんな経験を積むことも大切です。会社で仕事をしている人なら、「こんな仕事は私がやる仕事ではありません」などという「ええカッコ」をしないことです。日本の会社ではアメリカ社会のように役割分担が明確化されていませんから、あまり頑なな態度を取ると人間関係もうまく行きいませんし、やはり、人間としての幅が広がらないと思うのです。

いろんな分野のことを知ろうというときに、人間の幅が狭いとどうしても上手くいきません。ついつい好き嫌いが先に出てしまうのです。だいたい、まわりのみんなが協力して荷物を運んでいるときに、「オレはデザイナーだ。荷物運びなんてできるか」と言ったりする人に限って、ロクなデザインはできないものです。多少、意に添わないことを命令されたりしても、新しい世界にチャレンジ!といった明るい気持ちでのぞみたいものです。

また、これから「仕事探し」という人は、大企業もいいけれど、いろんな経験、知識を習得するならやはり中小企業。福利厚生や安定性など、大企業に比べれば不満は残りますが、今や大企業もつぶれる時代です。小さい会社で、英語がわかる人間が自分しかいないといった環境なら申し分ありません。

とにかく横文字のものであれば、何でもこっちに回って来ますから、いろんな分野が展開します。海外から来た FAX はもちろんのこと、海外の企業との契約書だとか、ワンマン社長がある有名ブランドブティックで買い物をしたときの免税資料、海外の友人への手紙作成、海外から来たお客さんの観光案内、また、英会話勉強したいので外国人紹介してくれといった人材斡旋から、自分の趣味のプラモデルの英文雑誌のある記事を持ってきて、これなんて書いてあるのか説明しくれだの、知り合いが子供を連れてアメリカから帰ってきたが、せっかく子供が英語を覚えているのに忘れるのはもったいない、英語を習わせたいがどう思うかといったコンサルに至るまで、まさに、横文字に関係あることであれば、ありとあらゆるものが回ってきます。

ただでさえ、こちらも本業で忙しいのに、もういい加減にしてくれというほどやってきます。そういう人たちに、「英語が分かるといっても、すべての分野のことを知っているわけではありません」というようなことをいちいち説明してもキリがありません。理解してもらうことを期待するより、むしろ「チャンス」と捉えたほうがよさそうです。もちろん、本業とのからみもありますので、どこまで無償協力するかは程度ものですが、自分にとっては未知の分野のことを調べ、解決するというようなことを十年も続けていると、知らず知らずのうちにいろんな知識が身についてくるわけです。

うちの会社は、ある程度規模もあって、英語ができる人もたくさんいますといったあまりラッキーではない(?)人にも方法はあります。例えば、上司が書かなければならない英文メールとか、作成しなければならない英文資料などがあるはずです。大企業の上司というのは、部下や他のスタッフに仕事を振って「なんぼ」の世界ですから、できれば自分でやりたくないと思っている場合が多いものです。そこを、「自分にやらせてください」と「下書き」を買って出るわけです。

上司の業務ですから、メールや資料にしても、「これ送ります」「着きましたか」といった単純な内容ではないはず。いろいろ調べたり、悩んだり、かなりのトレーニングになるはずです。心ある上司なら、せっかく下書きを買って出てくれた部下なんだからということで、間違いを指摘してくれたり、内容についての細かい説明をしてくれたりもします。当然、上司の覚えもめでたいということにもなります。同時に、トップレベルの商談内容なども把握することができたり、会社の新しい方針など、普通の人には知ることのできない情報を知ることもできるのですから、まさに一石二鳥、三鳥にもなるわけです。

素直さと謙虚さを持って

若いということは柔軟性が売りです。若い頃から「ワシは絶対こうじゃ!」という頑固一徹はいただけません。また、若い頃はとかく、少し知識を得たり、経験を積んだりすると「オレが会社を動かしている」といった幻想をいだきがちです。良い意味での個人主義といっても、誰もひとりで生きているわけでもないし、また、ひとりで生きていけるものでもありません。みんなの働きがあって、企業や社会は動いているわけです。ワタシがいなかったら会社は潰れるわよ、ということもありません。自分ひとりが抜けたところで、会社や社会というものは、ちゃんと機能していくものなのです。自信を持つのは結構なことですが、過剰にならないようにすることが大切です。高慢になると、どうしても、「学ぼう」という姿勢が希薄になりますから、英語の学習もうまく行かなくなってくるのです。

素直になりましょう、ということで、じゃあ、先輩に「オマエ明日から坊主頭になって来い」と言われたんでスキンヘッドにしました、ということではありません。何でもかんでも言われたとおりにやればいいのではありません。それは、自分で考えることのできない「指示待ち族」の予備軍になってしまいます。素直になるということは、自分の「思い込み」を無くすということです。

責任感の強いタイプによく見られる傾向ですが、絶対これをやり遂げるという決意は強いものがあります。しかし、そういった強さが頑固さとなって、「思い込み」の強さにつながっていくのです。「思い込み」が強いと、翻訳などをやってもそれが現れてきます。何度注意しても、同じような間違いをしてしまう。なぜ、こんな意味に取れるのか不思議なくらい、独特のオリジナルな発想をしてしまう。それはそれで、個性かもしれませんが、常識的に理解したらこうでしょう、といった発想ができなくなるのです。その思い込みというのも、自分という小さな世界の中で生きているからであり、英語なら英語だけ、といった狭い範囲にとどまっているからだと思うのです。

いろんな経験をして、貪欲に知識を吸収し、間違いは素直に認め、いろんなことから学ぼうとする態度、好き嫌いで決めつけず、幅広くチャレンジしていく。こういったことを繰り返すうちに、ヘンな「思い込み」もとれ、英語も上達、人間的にも成長していくのではないかと思われます。

今日明日のうちに花を咲かせようとあせるのではなく、まだまだ若い、先は長いのですから、大器晩成をめざすくらいの心構えで臨むことです。着実に一歩、一歩、踏みしめるような気持ちで、厳しい時代にあっても、決して夢を失わず、辛いこと、苦しいことも明日へのエネルギーに変えて、輝く個性の未来を生き抜いて欲しいと思います。



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