英語は日本でマスターできる
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Last update January 1, 2015

自信を無くしたときには



いくらやっても上達しない

受験勉強時代にいた、自称英語が得意な人。だから、試験でも英語だけはいつもトップにいないとカッコ悪い、ということで、ますます英語の勉強に拍車がかかる。しかし、いくらやってもこれ以上伸びない。いくつもの問題集を解いてみるが、どうも調子が悪い。おかしいな、自分は英語が得意なはずなのに、満点どころか、7割くらいしか正解しないときもある。こうなってくると、あるのは焦りばかり。

ついに問題集を全部やってみたが、それでも点数は伸びない。英語、英語とやればやるほど、泥沼にはまっていく。ああ!もう自分はダメなんだ、と情けない気持になり、すべて投げ出してしまいたくなる。まさに、典型的なスランプ地獄。傍からみると、「根(こん)つめすぎなんだよ。他にもやることあるだろ?」なんてことになります。そうです、数学も、理科もあったんだ、国語も社会も

これは何も受験勉強だけに限りません。英語の習得をめざして励むのはいいのですが、こんなに勉強しているのに、努力しているのに、効果が現れない、なんてことはザラです。しかし、こういった「のめり込み」状況にはまっているときは、必ずと言っていいほど、効果は現れません。これは筆者自分の経験からみてもはっきり言えることです。効果が出ないから、余計に焦って、勉強時間を増やして、カリカリやってみる。

リスニング力が伸びないからといって、朝から晩まで、ご飯も食べずに2ヶ国語放送を見まくる(多少大げさですが)。こういった、わき目もふらず、周りのことにも関心を持たず、ただそのこと、ひとつにのめり込んでしまう状態は、たとえば「盲信熱中症候群」などといった名前をつけることができます。時間をかけて勉強さえやれば、絶対に上達するはず!といった「盲信」に近いものがあると思うのです。

行き過ぎの弊害

英語に限らず、物事はすべて「行き過ぎ」はよくありません。人間関係しかり、です。友だちや彼(彼女)が自分から離れていく、といって必死で追いかけたり、すがったりすると相手はますます逃げていくというのがあります。これもひとつの「盲信熱中症候群」で、逃げていく(または、得られない)からこそ、必死になってしまう、という心理も働きます。そうなると、そういった逃げていく対象が、必要以上に美化されるので、ますます、必死になるわけです。そして、ますます遠ざかる、という悪循環のアリ地獄です。

こういう場合、いちばん良いのは、スバリ、放っておくことです。友だちや彼・彼女の類に関しては、日本の人口だけを取り上げても一億くらいいるわけですから、また、見つければいい、という割り切りが大切です。そんな!諦めきれない!というのが、すでに「盲信熱中」状態にあるわけで、まず、その認識が必要です。

ちょっと話が逸れましたが、英語の勉強も同じだと思うのです。こんなときは、いっそのこと、「英語よ、オマエなんかもうどうでもいい。どこにでも行け」と突き放してしまうのです。そして、たとえば、おもむろに、フランス語の勉強なんて始めてみるわけです。そうすると、突き放された英語の方から「えー、そんな、冷たいじゃないですか。そんなこと言わんと勉強してくださいよー」と言ってくるなんてことは当然ありません。第一人間じゃないですからね、英語は。もちろん、人間でも突き放しても戻ってこないことは十分考えられます。それはそれで、きっぱり諦めて、次を探せばいいわけです。

しかし、英語の上達は違います。ほんとに上達したい、と思っているなら、絶対それを諦めてはいけません。絶対諦めないのですが、いったん突き放すのです。つまり、「盲信熱中」から抜け出すために視点を変えることが必要なのです。そのために、勉強を中断して山に登ってみたり(別に何でもいいんですが)、フランス語をかじってみたり、あるいは、日本語と英語の違いについて勉強してみたり、といった違う行為をするわけです。「絶対、諦めない」という意地と根性は、他のことは放っておいて英語の勉強だけにのめり込み、苦しい思いをすることではありません。

上達しないわけがない

なぜ、こんなに上達しないんだろう?と自信を無くしたときは、過去に目を向けてみましょう。と言っても、過去のイヤな出来事など思い出してはいけません。だいたい、精神的にネガティブな指向になっているときは、良くないことを思い出して、余計くよくよしたくなるものです。どうも、日本人は、その言語表現の特性から見ても、「みれん」だの「けなげ」だの「いじらしさ」だの、悲しい、寂しい味付けが好きなようです。

「日本人は悲しい物語が好き」というのは、原作国ではあまりうけない「フランダースの犬」などが有名なのをみてもうなずけます。「パトラッシュ!」「ワシ、パトラッシュ違うで」「おじいさんのところへ行こうよ」「じいさん、死んだがな」といった会話で構成されるお笑いCM(何の商品かは忘れましたが)もあり、パトラッシュという名前の浸透度はすごいものです。

実際、「みれん」といった悲しい系の言葉にずばり相当するものは、英語にはありません。現象面だけで訳すと、「みれん」は attachment 「執着」、「けなげ」は brave 「勇敢な」、「いじらしい」は touching 「感動や同情を起こさせる」ということになり、「なんだ、それだけ?」といった物足りないものになります。特有のウェットさが抜けて、ドライで、客観的な表現になってしまうわけです。

自分も日本人としてよくよく考えると、こういった物悲しい表現というのは、その言葉に浸っていると、何やら説明のできない「甘美さ」があるのでしょう。「悲しい甘美さ」というのか、不思議な感性ですが、英語が上達しないと思い込み、「しょせん私なんて」「いっそのこと、諦めたほうが」といった発想をして、甘美さに浸っているヒマがあったら、他のことをやりましょう、ということです。

まあ、英語が上達しないからと言って、ここまで深刻に考える人もいないかもしれませんが、「上達しない」というのは、事実ではないと思うわけです。英語を何年間勉強しているかは、人によってまちまちだと思いますが、例えば、勉強を始めたばかりの頃と、現在とを比較してみてください。絶対に上達しているはずです。昨日、単語を3つ覚えましたというのであれば、今日は確実にその3単語の分だけ、前進しているわけです。感情や情緒で、「上達しない」と判断するのではなく、論理的に理性で判断してみると、以前より上達していることがわかります。つまり、「上達しないということはない」ということです。



他人と比較しないこと

もうひとつ、大切なことは、他人と比較しない、ということです。世の中にはいろんな人がいます。英語の「え」の字もわからない人もいれば、それこそネイティブ同然の人もいます。両親が国際結婚とかで、生まれたときから、バイリンガルの環境が整っている人もいます。お父さんの仕事の都合で、小さいときに英語圏に住んでいたという人は、当然発音もネイティブ並みだし、帰国後も勉強を続けていたという場合は、それだけ上手いのは当然でしょう。

その他、海外留学で長い間現地で暮らしていた、などなど、いろんなケースがあります。そういう人たちと自分の場合を比較して、自分は海外に住んだり、出張に行くチャンスもない。ましてや、経済的な事情で留学なんかできなかった(あるいは、できない)。だから、自分は英語が上手くない、上達しないと考え、落ち込んでしまうこともあるかもしれません。

しかし、そういう英語環境的に恵まれた人と自分の場合を比較しても、仕方ありません。過去を変えることもできません。自分は自分の勉強をすればいいのです。それに、帰国子女と呼ばれる人であっても、英語を学ぶ環境には恵まれたかもしれませんが、それなりの苦労はあるものです。ただボーっとしていて身に付いたわけではないはずです。

日本で育った人たちが、同じ文化圏のなかで、日本語を使い、のびのびと育っている一方で、帰国子女の人たちは、日本語も完全でない段階で、また新しい言葉を覚えなくてはならないわけです。子供は大人に比べて習得が早いというのはあるかもしれませんが、それは、子供時代を忘れているから言えるのかもしれません。そのときの子供の立場になってみると、混乱もあっただろうし、友だちと遊んでいても言葉が通じない、文化的な違いが理由でいじめられたり、教室でついていけなくて恥ずかしかったとか、まだ物の道理などがわからない子供の状態で体験するわけですから、大人の発想では想像できないほど、大変なことだったはずです。

そもそも英語は言葉

そうです、当然のことながら、英語は言葉です。言葉である英語を、学問的に探求するのは、まあそれなりに面白いと思いますが、どうも腑に落ちないのが、それを点数化して云々することです。「英語の点が上がった、上がらない」とやきもきすること自体がそぐわないような気がしています。もちろん、受験や就職など、どうしても必要な場合がありますので、否定してしまうつもりはありません。目標にもなりますし、ゲーム感覚で臨めばそれなりに楽しいかもしれません。

しかし、さして受験の必要のない人がわざわざ「点数アップ」競争に参加したり、英語の勉強と言えば点数を目安にした方法になってしまうというのは、ちょっと疑問です。だいたい、日本の教育自体が「暗記重視」に基づく「点数化」であるわけです。つまり、テストの点数で評価するというパラメータしかないのです。もう、学校を卒業したのであれば、そろそろ点取り虫傾向から卒業してもいいのでは、と思うのです。いや、自分は高い点数を取るというのが、ゲーム感や緊張感が楽しめてやめられないんですという方は、もちろんチャレンジしていただけばいいのですが、ひとつだけ言えることは、英語の点数が高いからといって、実際の英語でのコミュニケーション能力が高いわけではありません。

点数を導入するということは、当然、競争原理が入ってきます。しかし、英語を言葉として見たとき、他の人と競争して「なんぼ」のものがあるのかなと思わずにいられません。もっと、肩のチカラを抜いて、いろんな側面から勉強していったほうが、面白いし、楽しいのではないかと思います。

暗記に基づく点数化というのは、結局「机上の理論」みたいなもので、実践がありません。話す相手がいる、いないにかかわらず、言葉というものは、使ってみるからこそ意義がある。使わなくして机上の点数ばかり高くても、あくまでも「言葉」として見たときに、意味が無いのではと思います。細かい前置詞や文法ももちろん大事ですが、そういうことが完璧にわかっていても、実際にコミュニケーションが楽しめなかったら面白くないですよね。もっとも、最近では、こういった考え方をする人たちも増えてきており、そんな方々がホームページやブログを開設し意見を述べたりしていますので、良い方向に向かっているいるようです。

自分なりの勉強法

彗星のごとく現れた○○何点、ヶ国語ペラペラ… などという人がどの時代にでも登場したりしますが、じゃあ、その人が勉強したとおりに自分もやれば上達するかというと、まずそういうことはないでしょう。物事をやるには個人差があります。そういった人は優秀だからできるのであって、凡才である自分は上達することはできない、などということを言っているのではありません。あくまでも、個人差があるということ。

飲み込みが速いけど、習得したものが非常に浅いレベルに留まっている人、覚えるのは遅いが、いったん覚えると深く浸透していく人、暗記が得意な人、アタマではなく経験や行動によって物事を覚える人、ドジで試験では良い結果を出せない人、要領の良い人などなど、考えればキリがないくらい、人にはいろんなタイプがあります。そういったことを考慮せずに、あの人がやった勉強法をやれば自分も上達する、あの人はあんなに上達しているのに自分はなぜ?と思ったりすること自体が短絡的と言わざるをえません。それは、ちょうど、幼児を持つお母さんが、うちの子はよその子に比べて言葉を覚えるのが遅い、と嘆くのと同じです。そういう母親に対して、カウンセラーなどが言う答えはたいてい、「個人差があるのです。気長に待ちなさい」ということです。

そうです、あなたも私も、彼も彼女も、みんな個性ある個人です。世界にひとつしかない花、一生懸命に咲いている花で、なんか歌の文句になってしまいますが、かけがえのない自分。かといって、いわゆる「ジコチュウ」なのではなく、自分がかけがえのない存在なのと同じように他人もかけがえのない存在ということなんですが、その、かけがえのない自分に対して、自分だけの勉強法というのがあるのではないかと思うのです。

じゃあ、自分に合った勉強法を教えてくれ!なんて安易に人に聞いてはいけません。自分に自分のことがわからなくて、人にわかるわけないのです。筆者に聞かれても当然、わかりません。先に述べましたが、絶対諦めてはいけないということ。それには、一種、根性がなくてはいけません。なぜ、根性が要るかといえば、自分に合った勉強法というのは、自分で開拓していくしかないからです。他人の勉強法を聞いても、ある程度参考になるかもしれませんが、自分の勉強法にはなりえません。

もちろん、言語の習得ですから、基本的にはやるべきことはやるべきこととしてあるわけですが、個々に微妙に違うものだと思うのです。自分はどの部分が弱いのか、それはどういうことで弱いのか、この方法ではどうしていけないのか、といったようなことを感傷的になるのではなく、冷静に客観的に分析してみるのです。そして、自分自身で開発していくことです。

しかし、広い視野を持って

こう言うとまた、自分だけの世界に入って出られなくなりそうですが、大切なのは、常に複数の視点を持つということではないかと思います。広い視野を持つことです。「これだけ」に偏らないことが大事です。フランス語などのラテン系の言葉を少しやってみるというのも、英語というものを他の側面から見つめることができます。筆者も、英語以外にラテン系の言葉をやっておいたおかげで、フランス語を通して英語に大量に移入されたラテン語源の英単語の意味が推測できるというメリットがあります。広い視野を持ち、自分だけの勉強法を開拓し続けること、それは終わりのない道のりですが楽しいものです。

そういった意味でも、自分よりできる人と比較して迷ったりすることがナンセンスであることがわかります。人より上達が遅い、それでもいいじゃないですか。水滴も岩を穿(うが)つ、と言います。ポタリ、ポタリと落ちてくる「しずく」でも、そのうち洗面器がいっぱいになったりするものです。気長に、ボチボチ、諦めずにやっていくプロセスを楽しめる余裕を持ちたいものです。

そうしながら、ある日、上達している自分を発見する日が必ず来る。これがまたうれしいものです。人が10年かかったところを自分は1年でマスターなんて、それもいいですけど、そんなに人に誇りたいですか?英語なんて、英語圏ではフツーの人がフツーに使っている言葉です。自分もフツーでいいんじゃないですか?コツコツ、楽しみながらやっていく、そして、時々チャレンジしながら、しんどいことも楽しめる余裕を持って、絶対に諦めない。これが、言ってみれば「物事の道を極める」ということかな、と思う今日この頃です。



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