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英語上達への抱負 (2)



管理人:さあ、昨年の反省が終わったところで、今年の抱負を語っていただきましょう。目標を達成するための勉強法なども具体的に述べていただければ、と思います。

あ、まず、わたしからですね。ええと、そうですね。ひとつは、言葉の使い方にもっと「シビア」になりたいな、っていうことです。それぞれの単語の本質に迫りたい、というか、どんな語源から生じている言葉か、どんな使われ方の歴史があるのか、そして現在の使われ方は、といったようなことをトータルに踏まえたうえで、そこからその言葉の本質をつかみとるという訓練をしたいなと思っています。それには、辞書なども大いに参考にしますが、ひとつの辞書に頼っているわけにはいきません。複数の辞書、特に英々辞典に書かれている説明を参考に、実際の例文がどのように使われているかを調べて行くことで、だんだん、その言葉の持つ「性格」というものが見えてくることがよくあります。また、同じような意味を持つ言葉が2つ以上あったとして、それぞれがどのように違うのか、などを比較したり、ということをやっていきたいと思います。

というのは、翻訳や通訳をする場合に、日本語の言葉に捉われるのではなく、英語だけで発想していったときに、あ、こんな言葉が欲しいと思うときがありますが、その瞬間にはなかなか出てこない場合があります。そんなときに、自分なりに言葉の定義やストックができていればとても役に立つんじゃないかと思います。

で、もうひとつは、日本語の文章構造に捉われないダイナミックな翻訳の手法を確立させたい、ということです。まだまだ、翻訳会社さんなどでも日本語文章の構造にいたるまで、忠実に訳すことを「よし」としている傾向もありますが、そこら辺のところをもっと掘り下げて、ただの翻訳ではなく、思い切った「意訳」というものをどう発展させるか、といったようなことを考えてみたいな、と思います。

あと、字幕に頼らないためにも、字幕無しの映画やドラマを見る機会をもっと増やしたいですね。

ポポリン:ちょっとー、そこまでしゃべられたら、あと言うことがなくなっちゃうわよ。「司会」なんだから、もちょっと控えめにしてもらわないと… で、アタシの今年の目標ね。うーん、何言おうかな。えーっと、そーね。さっき、管理人もちらっと言ってたけど、やっぱりさあ、観光案内とか日本文化を紹介するとかいうときに、あまりにも短絡的に日本語で表現しすぎるような気がすんのよね。たとえば襖のことを fusuma screen (door) とか、江戸時代なら Edo Period とかさあ。 Hideyoshi Toyotomi とかさ、そのまま言ってしまうじゃない?そりゃ他に言い方がないっていえばないかもしんないけど、なんか工夫がないじゃない?実際さあ、日本のことあんまり知らないような人がたまたま日本に来て、そんな言葉で言われてもわかんないと思わない?

タコ:あのーう… ボク、よくわかんないんですけどぉ、観光案内とかしていてー、襖とか障子とかが出てくるたびにその説明なんかやってたら、一日かかっても案内しきれないような気がするんですけどぉ。

ポポリン:だからさあ… アンタ、最後まで聞きなさいよ。そりゃそうよ、これは「障子」と言って、紙と木で出来ていて、のりで紙を貼って作るんです、なんてやってたら、日が暮れちゃうわよ。事細かに説明するとかいうんじゃなくて、なんか簡単な一言二言で、どんなもんかわかるような説明ができないかな、ってことよ。つまり、表現の工夫ね。アタシたちはさ、別にプロの観光ガイドになろうっていうわけじゃないのよ。通りいっぺんのスラスラ流れる説明をするよりも、聞いてる人に「へえ、面白いじゃん」ってちょっとでも思ってもらったらそれでいいんじゃないの?人間、外見より中身って言うじゃない?いくらヘタなガイドでもさあ、日本にちょっとでも興味持ってもらう、っていうの、そういった「インスピレーション」みたいなものを感じてもらうのが、アタシはほんとのコミュニケーションだって思うわけ。別にこだわってるわけじゃないけどさ。

マサ:いや、じゅうぶんこだわってますよ、ポポリンさん。かなりリキ入ってますよ。

ポポリン:あらやだ、アンタ、自分といっしょにしないでね。



マサ:いや、こだわりがあるというのはいいことだと思いますよ。でなきゃ、いくら英語やったって上達なんかしませんよ。ボク的にはそう思いますね。さっき、管理人さんが言ってたように、翻訳なんかする場合に、日本語の文章の順番とか、文章構造までそのまま英語に移してしまうのが翻訳だって思ってる人は多いですからね。ボクも仕事がら、他の人がやった翻訳なんかも目にすることがありますけど、なかには、ほんと、ヒドイのがあります。日本語の言葉をそのまま英語の言葉に置き換えてるっていうようなヤツ。うまく説明できないんですけど、表層的な部分だけをそのまま英語に移行させてるっていうか、だから、英語として読むと、まわりくどくて、結局何を言ってるかわからないんですよ。

でも、翻訳会社さんなんかでも、そんな訳をしてくる場合があります。なんでこうなるのか、とかでいろいろ聞いてみると、原文の日本語があいまいでわかりにくい、という部分もあります。だから、表面づらで訳しておくしかない、といった理由ですね。それと、翻訳を依頼するクライアントさん側の担当者が、ちょっとでも日本語の表現づらと変わっていると「日本語に忠実に訳されていない」とか言ったりされるわけです。だから、いちおう、あまり、ダイナミックな翻訳はせずに、ともかく、間違いじゃないんだから、そのまま訳しておこうか、という具合になるんでしょうね。もっとも、いまや翻訳料金が安いですからね、ひとつひとつ時間をかけて、本質的な内容を読み取って、表現の再構築をしていくなんてことをやっていたら、ビジネスになりません。ほんとに翻訳料金は安いです。20年前に比べても、上がっているどころかむしろ下がっているんです。いくらパソコンとかIT環境が発達したからといって、良い翻訳をするというのは、まだまだ機械にはできませんから、人間の感性のなかでやっているわけですよ。その部分に対する一般の理解が低すぎるんじゃないか、とボクは思うわけです。

タコ:あのーう… すいません、よくわからないんですけど、最近、「こりゃこりゃ翻訳!」(仮名)とか「訳せマゴの手」(仮名)とかいろんな翻訳ソフトが出てますけど、あんなので、ホイと翻訳ってできないんスか?いやー、あの、単純な疑問なんですけど。

ポポリン:アンタ、さっきから、「わからない、わからない」って、わからないわりにはよく発言してるじゃない?わからないんなら、ちょっとは遠慮するもんよ。

タコ:すいません、ぐす。

オヤジ:いやいや、いいんですよ。タコさん。かえってタコさんのような、いままで英語が苦手でいらっしゃって、英語にどっぷりつかっていないような方がね、こう、案外、違った視点から新しいヒントを与えてくれたりするもんなんです。

で、タコさんの言っておられる「自動翻訳」ソフトですね。あれはねえ、ま、実際にお使いになってみれば、おわかりになると思いますが… まあ、お遊びにはいいでしょうね。出てくるアウトプットが結構笑えたりします。人名なんかも忠実に訳してくれたりしますよ。たとえば、「西園寺公経(さいおんじきんつね)」さんというお名前があったとして、これを West Garden Temple Public Sutra なんて訳してくれたりします。なかなか「けなげ」ですよね。でも、いくらけな気だからと言って、これは実用的な翻訳としては使えませんね。

じゃあ、機械翻訳が全く役に立たないのかというと、日本語以外の言語、つまり、英語とフランス語、ドイツ語、スペイン語とかの言語間であれば、そんなにひどくはないわけです。文章構造が似てるからなんです。むずかしい言葉で言うと印欧語の言語というらしいですけど、こういった言語はみんな同じ印欧語に属する言葉で、主語、動詞、目的語といった文章のコンポーネントや並べ方、複数単数の概念、冠詞もありますね、こういった「構造」が似ているんです。だから、ひとつの言語から別の言語に表面的に移し変えても、さほど意味の通じないものにはならないわけです。自動翻訳をしたうえで、人間が調整する程度でできてしまうんですね。もちろん、言語の裏にある文化的な背景、発想も似てますから、表現としてアウトプットされてくる単語の組み合わせが似通っているということです。ところが、日本語はここら辺が全く違う言語なんですよ。

タコ:う〜ん、やっぱりボクには英語はむずかしすぎるような…

ポポリン:たとえばさあ、こういうことなのよ。ある国で「赤」と「白」が喪服で、「黒」と「白」がお祝いの色だったとするじゃない。(実際、そんな国があるかどうかは別よ。)日本では当然逆よ。アンタ、お葬式に「紅白」なんか着ていったらひんしゅくもんよ。それでさあ、「彼が死んだ。人々はみな黒い服を着て、家には白と黒の幕が…」なんていう文章があったとして、その国の言葉に訳すとして、そのまま言葉を置き換えて訳したらどうなると思う?その国の人は、え?人が死んだのにお祝いの服やお祝いの飾り付けをするのか… よっぽど、この人物は恨まれていたのか、なんてことになって、アンタ、ストーリー変わっちゃうわよ。わかる?

タコ:ああ、それはわかります。でも、いちおうそう訳しておいて、注釈つけるとか…

ポポリン:そんなことしてたら、キリが無いわよ。「注釈」だけで「別冊」ができるわよ、きっと。そんな文書、学者さんしか読んでくれないわよ。まあ、注釈が多いと、なんだか「賢そうな文書」に見えるのは確かね。

マサ:確かに、注釈をつけるっていう方法もありますが、ボク的にはあまりいい方法だとは思えません。第一、読みづらいですよ。ポポリンさんの言うように、そのうち注釈だらけになってしまう。必要以上に注釈が多いっていうのは、読む人にとっては読みにくいと思うんです。だから、そんなときには、思い切って「黒」を「赤」に変換してしまったほうがいいと思うんですね。まあ、これは極端な例ですけど、実際はもっと微妙な場合がほどんどです。

でも、管理人さんの言うように、こういった部分を体系化できるかっていうのは、ちょっと疑問です。あくまでも「感性」「感覚」に頼るものが大きいんじゃないかなって気がしますね。

オヤジ:でもね、わたしは逆に、体系化することによって、広く、一般的にも認知されてくる部分もあるんじゃないかと思いますよ。ああ、そういうこともあるのか、ってね。

タコ:あのうー、みなさん、話がむずかしいほうに流れてしまっていると思います。今年は、みなさん、英語上達に向けてどのような勉強をしたりするのか、教えてください。

ポポリン:あら、アンタ、たまには鋭いこと言うわね。じゃさ、次のページで、みんな一人ずつ、今年の勉強計画について語んなさいよ。まず、管理人からね。



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