辞書の編纂

現在地→ | 英語雑貨屋トップ | 英語用語集 | 英語独学室 | 英語資料室/英語の歴史―辞書の編纂 | 英語なんてタコ |
ジョンソン辞書  A Dictionary of the English Language (1755年出版)

Samuel Johnson サミュエル・ジョンソン 1709 - 1784

貧しい本屋の息子として生まれたサミュエル・ジョンソンは、幼い頃の病気のせいで目と耳が悪く、経済的な事情でせっかく入学した大学も中退せざるを得なくなるなど、苦労を重ねた人であったようです。辞書の編纂以外にも、詩人や随筆家、文学批評家としても活躍しました。そのジョンソンが1755年に出版したのがこの A Dictionary of the English Language 。40,000を超える語を収め、単語の意味を説明するために、シェークスピア、ミルトンなどの著名な作家の作品の引用を用いている点が大きな特長。その引用の数は114,000件にものぼると言われ、「引用」を辞書に取り入れるという手法は、後世の辞書の編纂にも大きな影響を与えました。しかも、膨大な数の学者を登用して編纂されたフランス語の辞書などとは異なり、出版されるまでの約9年間、わずかな数のアシスタントを使うだけで、ほとんど自分一人で完成させたという点はまさに賞賛と感嘆に値します。それまでにも辞書の出版はありましたが、内容的には他の辞書をはるかに凌駕し、まさに最初の本格的な辞書と言っても過言ではないと思われます。19世紀末に Oxford English Dictionary が出されるまでの長い間、権威のある辞書として絶対的な地位を維持し続けました。

また、個人的な主張を交えないという現在の辞書とは異なり、彼独自の視点や考えに基づき、ときにはユーモラスに単語の意味が解説されています。たとえば、よく引き合いに出される例として "Oats: a grain which in England is generally given to horses, but in Scotland supports the people" 「オート麦:イングランドでは馬の餌になる穀類。ただし、スコットランドでは人間が食する」という定義があります。ちなみに、これは当時のイングランドでは、昔から、「オート麦を食べるのは馬とスコットランド人ぐらいしかいない」と言われており、それをそのまま辞書に流用したものだと思われます。余談になりますが、こういったイングランド人の考え方に対して、スコットランド人は、「だからイングランドには優れた馬がいるし、スコットランドには優れた人間がいるのだ」などと切り替えしていたという話もあるようです。また、自分のような「辞書編集者」(lexicographer) については、「辞書を書く人。害のない単純労働者」(a writer of dictionaries, a harmless drudge) などと書かれています。

また、 Fireman 「消防士」は、「激しい情熱を持つ人」、Pedant 「学者ぶる人」は「学校の先生」など、現代とは異なる使い方をされていた単語もあり、言葉の変遷という意味では興味深いものがありそうです。

サミュエル・ジョンソンおよびその辞書についてもっと知りたい方は以下のサイトにアクセスしてください(ただし、英語です)。このコーナーを書く上で一部参考にしたサイトもあります。

http://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Johnson
http://justus.anglican.org/resources/bio/20.html
http://www.brainyquote.com/quotes/authors/s/samuel_johnson.html
http://www.bllearning.co.uk/live/text/mean/johnson/

ウェブスター辞書  An American Dictionary of English Language (1828年出版)

Noah Webster ノア・ウェブスター 1758 - 1843

ノア・ウェブスターは植民時代のアメリカの中流家庭に生まれ、父は農業と職工に従事していました。兄弟のなかでも特に勉強が好きだったウェブスターは当時はまだめずらしかった大学に入学。卒業後は教職の道を選びました。当時はアメリカ独立戦争時代、独立心と愛国心にあふれた時代でした。しかし、その頃の学校と言えば、小さな教室に全学年の生徒が70人も詰め込まれ、机も椅子もない状態で、教師もお粗末、教科書と言えばイギリスからの送られてきたものを使っていたのです。「アメリカ人はアメリカ英語を学ぶべきだ」と考えた彼は、スペルから発音、文法規則などをまとめた A Grammatical Institute of the English Language を出版しました。この本は、青い表紙であったことから、 Blue-backed Speller と呼ばれ、それから100年もの間、教育現場で愛用され続けました。

初めてのアメリカ英語の辞書、 An American Dictionary of English Language 編纂に着手したのは、彼が43歳になってからのこと。当時のアメリカでは、地域によって発音やスペルが異なり、アメリカ全域で統一する必要があると考えたのです。また、独立直後の愛国心も手伝って、アメリカ人がイギリス人の英語を使う必要はないという思いもあったようです。また、スペルの改革を行ったことでも有名です。たとえば、イギリスでは colourhonourtraveller と綴られるスペルは、それぞれ colorhonortraveler となり、現在のアメリカ式スペルが確立されました。また、 musicklogick などと綴られていた単語は musiclogic となり、現在の英語のスペルとして定着しています。しかし、medicineexamine などの最後の「e」は削除したらどうかという提案までは受け入れられなかったようです。

こうして1828年、彼が70歳になったときに初版を出版することができました。しかし、その功績の偉大さにもかかわらず、辞書の売れ行きはわずか2,500部という結果でした。それでもあきらめることなく、第2版の出版にかかるのですが、資金がありません。彼の家は抵当に入り、借金まみれの生活が始まります。そして、1840年、第2版が完成。1843年、第2版の付録のページを書き終えて数日後、辞書の成功を見届けることなく、この世を去りました。今日ではウェブスターと言えば「権威ある辞書」の代名詞ですが、彼の在世にはついにその辞書が世間に広く認められることはなかったのです。彼の死後、彼の編纂した辞書をもとに、数多くの辞書が出版され、まさに、現代のアメリカ英語の辞書の「産みの親」とも言えるでしょう。また、ウェブスターは辞書以外にも、聖書の翻訳を手がけたことでも知られていますが、正確で優れた翻訳であったにもかかわらず、当時は、ジェームズ1世による「欽定訳聖書」が深く浸透していたこともあり、一般に広まることはなかったようです。

ノア・ウェブスターおよびその辞書についてもっと知りたい方は以下のサイトにアクセスしてください(ただし、英語です)。このコーナーを書く上で一部参考にしたサイトもあります。

http://noahwebsterhouse.org/biography.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Noah_Webster
http://www.greatsite.com/timeline-english-bible-history/noah-webster.html