磯釣りを始めて以来、ビデオや雑誌の記事を見用見真似でこれまでやってきた。釣り具屋・渡船の船長などの意見を参考にすることも多いが、釣りクラブに入った事も無く(関東のクラブに一応籍を置いているが、例会に参加したことがない)、特定の師匠に教わったとう経験はない。
ただ、心の師と呼べる人が1人いる。経堂のお好み焼き屋“ぼんち”のオヤジさんW師である。
釣友K氏が、経堂在住時、通っていた店で、磯釣りを始めてしばらくして(20年近く前)「知り合いのお好み焼き屋でさー。釣りの好きな人がやってんだけど行ってみる?」「ふーん、いいんじゃない」(てナやり取りだったと思う。当時の筆者は関東弁である)と小田急線で経堂へ。駅から5分もかからず店に到着。入り口の横に“やってるよ”と手書きされた板が吊るしてある。
オヤジさんはもともと関西の人で、歳は当時で50台半ばではなかったろうか。いかにもナニワのオカンと言う感じの奥さんと二人で店を営んでいた。置かれている雑誌は全て磯釣り関係。関西弁が飛び交う雰囲気がすこぶる気に入ってしまった。
以来、K氏や釣り仲間と、釣りの話とお好み焼きを肴にビールを飲むために、毎週のように足をはこんだ。オヤジさんは、釣りの話になると、大きな目をウルウルさせながら、仕事そっちのけで参加してくる。そこに奥さんの「あんた、早よ焼きや!」と言う突っ込みが飛んできて、まるで夫婦漫才のような絶妙さ。気取りの無い、いい夫婦という感じ。
「メジナ釣りやったら、石廊崎行ったら」と渡船屋を教えてくれたのもオヤジさんだった。
店の休みが火曜日のため、土日休みの我々とはなかなか一緒に釣りに行けなかったが、それでも何とかやりくりして、数回同行した。一番印象に残っている場面は、K氏と3人で石廊崎のホウロクに乗ったときのことである。オヤジさんは白地に縦縞の“タイガースヘルメット”をかぶって登場だ。この日、釣果は良くなかったが、本命ポイントの沖向きを譲ってもらったK氏と筆者は、多少釣っていたと記憶している。しかし、船着きで竿を出していたオヤジさんは、ボウズだった。二人は、迎えの船がくる十数分前に撤収準備をはじめ、ほぼ片付け終わったが、オヤジさんは船付きに腰かけて動かない。丸めた背中の上にチョコっと縦縞のヘルメットがのぞいている。と、急にオヤジさんが、立ち上がって竿を振りはじめた。見ると魚が掛かっている、かなりのファイトをあしらって、浮かせた魚体に2人で顔を見合わせた。60cmほどのワラサ(関西ではメジロ)だった。
釣り上げたワラサを手に我々に見せた笑顔は子供のような無邪気さで今も忘れられない。(書きながらクサイナーと思うが、想い出は美しいものなのだ!)
その釣行後、K氏とは、事あるごとに「釣りには、ねばりが必要だな」「そうだね」と言う会話(しつこいようだが関東弁)がしばらく続いた。
関西に転勤になってから、1度だけ東京出張のおりに“ぼんち”におじゃました。その日は、定休日だったのだが、K氏が電話を入れると喜んでくれて、わざわざ店を開けて待っていてくれた。
「関西帰って、串本とか口和深に行ってんねん」と筆者(関西弁になっている)。するとオヤジさん「昔、串本大島によお通っててな。K渡船にイシダイ竿あずけてたわ。」驚いた、串本ではK渡船を利用していたので、ここでも大先輩だったのだ。恐れ入りました。
オヤジさんには、釣りの技術やポイントよりも、楽しみ方を教えてもらった気がする。
そのうちまた、釣り談議をしにいくよ、オヤジさん。


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