Update September 10, 2010
 用語集

No More Deer Cookies!
久々の更新なんだけど、今回はさあ、奈良の東大寺に行ってきたわよ。春日大社や奈良公園の近くなんだけどさ、奈良公園って鹿がいっぱいいるわよ。そんでもってさ、餌持ってる人にはお辞儀しながら近づいてくんのよ。あれよあれよっていう間に何頭も寄ってきてさ、アンタ、鹿せんべい持ってりゃ、いちやく鹿たちの人気者よー。持っていない人には知らん顔よ。同じ動物として考えさせれるとこあるわよね。ところでさ、アンタ、鹿せんべいって食べたことある?食べないほうがいいわよ。アタシはもう、あんなマズイもん、二度とゴメンよ〜。ハトマメのほうがよっぽど美味しいわよ。



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幾多の試練を乗り越えた「古都奈良の文化財」
平成10年に世界文化遺産として登録。

TODAIJI TEMPLE
Listed as a World Cultural Heritage Site in 1998, the Temple has a Long History of Surviving a Series of Wartime Destruction.

東大寺の名前の由来 The Origin of the Name
アンタ知ってた〜?東大寺は昔から「東大寺」って呼ばれてたわけじゃないんだって。昔は「金鐘山寺(きんしょうせんじ)」って言ってさ、聖武天皇が皇太子の基(もとい)の菩提を弔うために建てたらしいわ。神亀5年(728年)のことよ。

それから天平13年(741年)になると、聖武天皇が「国分寺・国分尼寺建立の詔」っていうのを出して、全国に僧寺と尼寺をたてることにしたのね。この天皇は仏教に熱心な人だったらしいわ。そのときにこの金鐘山寺が大和の国の国分寺に充てられたってわけ。やっぱりさ、国分寺になったら名前も変えたほうがいいじゃない?てなことで、国分寺になったので「金光明寺」って呼ばれるようになったわけ。

それで、いつから「東大寺」になったかって?なんでもさ、正倉院ってところに納められている文書とかに「東大之寺」って名前が出てくるらしいわ。でさ、ここの有名な大仏さんがあるじゃない?この大仏さんが作られて、大仏殿(大仏さんの家)が建てられて大伽藍(だいがらん)として再編成されてから「平城京の東に建つ大きな寺」っていう意味で「ひむがしのおおてら」と呼ばれるようになったのが「東大寺」の名前の由来ってわけね。

Tō-dai-ji, literally meaning "a big temple in the east" was initially named "Kin-shō-ji" (Golden-Bell-Mountain Temple), and built by Emperor Shōmu in 728, in memory of his son Motoi who died very young.

Later in 741, the emperor issued "the Imperial Edict to Construct Provincial Monasteries and Convents", in which the temple was designated as the Monastery of the Province of Yamato (presently Nara). Upgraded to the provincial category, the temple changed its name from Kin-shō-ji to "Kō-Myō-ji" meaning "Golden-Light Temple".

It was not until the Great Buddha Statue was built at this location that the temple began to be known by the present name of "Tō-dai-ji". Upon the consecration of the Buddha statue, the temple complex was restructured as a new and larger-scaled sanctuary including the Grand Hall with the Buddha statue enshrined. Located at the east of the capital Heijōkyō, the temple came to be referred as "the temple located eastward". A Shōsōin (Treasure) Repository archive includes the mentioning of the name "the Big Eastern Temple", virtually meaning "Tō-dai-ji".

The Shōsōin Repository was created as a storehouse to contain the belongings of Emperor Shōmu, which were donated by Empress Kōmyō, his widow, after his death.



正倉院ってばさ、聖武天皇の奥さんの光明皇后って人が、聖武天皇が亡くなってからその遺品を納めたところらしいわよ。天皇が持ってたものなんだからお宝いっぱいよねー。いいわね〜。ひとつくれないかしら。アタシ、お宝って大好き!アンタは?

華厳経 Denomination
東大寺っていうのは「華厳経」のお寺よ。「華厳経」っていうのは「大方広仏華厳経」とも言われて、サンスクリット語ではbuddha-avatamsaka-nama-mahavaipulya-sutraって言うのよ。アンタ、読める?さすがのアタシもむずかしいわ。ベロが二枚くらいないとね。え?二枚舌じゃないわよ。で、これはね、サンスクリット語で「仏の飾りと名づけられる広大な経」ていう意味らしいわ。なんか、華々しいわねえ。

え?「華厳経」ってどんなお経かって?専門書なんかが書いてるところでは、ゴータマ・シッダルタ(お釈迦さまのことね)が亡くなってから、約500年から600年後にできたんじゃないかって言われている大乗仏教経典のことね。お釈迦さまの悟りの内容をそのまま示した経典らしいわよ。でもさ、アタシなんか煩悩多いトリだからさ、お釈迦さまの「悟り」の境地とかをそのまま書かれてもわかんないわよ。案の定、お釈迦さまの弟子たちもよくわかんなかったらしいわよ。数ある仏教経典のなかでも最も難解な部類に属すんだって。

でね、この東大寺がまだ「金鐘山寺」って呼ばれてる頃に、良弁(ろうべん)っていうお坊さんが初めてここで「華厳経」の講義を主宰したらしいわ。天平12年(740年)のことよ。この人は後に東大寺の初代別当(お寺の長官)になった人なんだけど、講義には新羅から華厳経の教えを学んだ審祥(しんしょう)って人を講師に招いたりしてそりゃもう、力が入ってたらしいわ。テキストは『六十華厳』って言って、中国のブッダバドラ(仏駄跋陀羅:359−429年)という人が中国語に訳した60巻の本を使ったらしいわ。60巻もあったら大変よね、よっぽど面白くなくちゃ読めないわよね。1年に20巻ずつやって3年かかって初回の講義を終えたらしいわ。


Tōdaiji Temple bases its doctrine on the Avatamsaka (jpn. Kegon; translation from Chinese Huayanjing) sutra (or buddha-avatamsaka-nama-mahavaipulya-sutra). The word "avatamsaka" means "flower adornment" or "a flower garland" in Sanskrit.

The Avatamsaka sutra is a Mahayana Buddhist sutra compiled between 500 and 600 years after Shakyamuni Buddha (Siddharta Gautama), the founder of Buddhism passed away. The sutra features the Buddha's discourses given during the initial stage of his ministry, and reveals the supreme state of his elightenment - profundity of the truth. Because of the contents that are too unfathomable to comprehend even for his disciples, the sutra is ranked one of the most intricate Buddhist sutras.

Probably due to this forbidding difficulty, the sutra was popularly studied in the time around the emperor Shōmu. In 740 (in the time of Kin-shō-ji temple), a priest named Rōben took initiatives in organizing lectures on the sutra. The project was given so much prestige that an eminent priest (his name was Simsang) was invited far away from Silla (an ancient dynasty in the Korean Peninsula) as a lecturer.

The lectures used the 60 fascicles of the Avatamsaka sutra, a set of Chinese version of literature translated by Buddhabhadra. It took the class three years to finish the first round of lectures by working on 20 fascicles each year.

Rōben later became the first chief administrator of Tōdaiji Temple.


この仏駄跋陀羅って人は、実は406年にインドから中国にやってきたインド人なんだって。なんでも、お釈迦さまの直系だってことらしいわ。ところで、カンフーで有名な少林寺にもインドから来た仏駄跋陀羅ってお坊さんがいたらしいんだけど、同一人物かしら?

大仏について
The Great Buddha Statue  
いよいよメインの大仏さまよー。いいわよね〜、ここの大仏さまってデカくって。小さい島国の日本の誇りってもんよね。そりゃ、アンタ大きいことはいいことよー。でね、仏さまもいろいろいらっしゃるのよ。阿弥陀仏さんとか薬師如来さんとかさ、アンタ、どの仏さまが好き?でさあ、東大寺の大仏さまはって言うと、「盧舎那仏」って言うんだって。盧舎那仏っていうのは、華厳経の仏さまらしいわ。

天平15年(743年)10月に聖武天皇は「盧舎那大仏造顕の詔」というのを出したのね。でもね、最初は、紫香楽(今の滋賀県甲賀郡信楽町)に大仏さんを作ろうとしていたらしいの。信楽(しがらき)って言えばアンタ、タヌキで有名よ。てなわけで、紫香楽に大仏さんを作り始めたんだけど、どうも良くなかったのね。何が良くないって、紫香楽の山に何回も火災が起こったり、地震が起こったりしたんで、これは縁起が悪いってことになったの。それで結局、当時の金光明寺、今の東大寺の寺域に移されることになったのね。

それから、天平17年(745年)、いよいよ大仏さんの造像工事が始まったのよ。そりゃあんだけ大きいと大変よ、作るほうも作られるほうも(?)。天平19年(747)9月から天平勝宝元年(749)10月の3年間の間に8回も鋳継ぎをして本体の鋳造が完成。天平勝宝3年(751)には螺髪(らはつ)の鋳造と頭部への取り付けが終るとともに、平行して作られていた大仏殿もだいたい完成していたんで、じゃあ、ってことで、天平勝宝4年(752年)4月に開眼供養会を行ったのね。でも、一説によるとさあ、この時点では、まだ完成していない部分もあったんだって。でも、当時は天然痘の流行とか、貴族の争いごととかがあって、なんとか良い世の中にならないかっていう切実なるものがあったのね。天皇の力が弱まって、貴族の力が強くなっていったのもこの頃よ。


Measuring approx. 15 meters high, the statue represents Vairochana (literally meaning "One that radiates like the sun"), a conceptual figure of Buddha, which is described in the Avatamsaka sutra.

When Emperor Shōmu declared his Edict to Construct the Great Statue of Vairochana Buddha in October 743, his choice as the temple location was Shigaraki, in Shiga prefecture today. However, soon he had to give up on the site, simply because it was suddenly hit by a series of disasters: multiple mountain fires and an earthquake. To the superstitious minds of ancient times, it meant an ominous sign to say that the place was doomed. Thus, the site was moved to the Kon-Kō-Myō-ji Temple location, namely, where Tōdaiji Temple is presently located.

The construction of the statue started in 745. Due to the extravagant size, the construction required tedious procedures and a long time. Eight partial castings had to be conducted to form the body, and this process needed three years starting from September 747. The head, furnished with Rahatsu or tightly-curled hair knots was installed onto the body in 751, when the hall to house the statue had been almost completed. In April following year (752), the Eye-Opening Ceremony for the Buddha Statue was held.

Some records say, however, the ceremony was carried out at a somewhat premature timing, and there were several unfinished parts in the construction of the hall. The forwarded schedule seemed to have a reason. The society at that time was rife with unfortunate incidents such as epidemic outbreaks and aristocratic conflicts, and the emperor hoped the consecration of the Buddha statue might save the situation. It also coincided with the time when royal authority began to wane and the aristocrat gradually enhanced its power.


なんで大仏さんの頭って「パンチパーマ」なのかしら?で、このパーマって右巻きなんだって。アンタ、知ってた? 螺髪(らはつ)って言ってね、螺は巻貝のことよ。それでさ、いくつあるか数えたことある?966個らしいわ。1個の直径18センチ、高さ30センチだって。

災害・戦禍による被害の歴史
History of Survivals  
天平時代には栄華を極めた東大寺だったんだけど、その後はいろんな災難があったのね。平安時代の斉衡2年(855年)には地震があって、大仏さんの頭が落っこっちゃったんだって。もう、罰当たりな地震ね。それで、これじゃいけないっていうことで、真如法親王っていう人が修復事業にあたって、貞観3年(861年)に開眼供養を行ったらしいわ。その後も講堂などの建物が焼失したり、暴風雨によって南大門や大鐘楼が倒壊したりして、営繕事業が行われたのよ。

でも、まだこれくらいならマシなほうよ。平安時代も終わりになると、源平抗争が起こって、その戦火で治承4年(1180年)12月には大仏殿をはじめとする伽藍の大部分が焼けてしまったんだって。もう、ほんとに戦争ってイヤあね!で、この翌年から、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)っていうお坊さんが中心になって復興造営が始められたのね。文治元年(1185)に大仏さまの開眼供養が行われて、建久6年(1195)には大仏殿落慶供養、さらに、建仁3年(1203)には東大寺総供養が行われて、やっと一安心ってところね。

ところが、鎌倉時代が終って室町時代の末になると、もう世は末というか、群雄割拠の時代。下の者が上の者を倒す、スズメがカラスを倒す(?)といった下克上の気運が満ちていたらしいわ。そして、また、永禄10年(1567)10月、東大寺の大伽藍が灰になってしまったんだって。ほんとに人間って学習能力がないのかしら。せっかく復興したのにまた焼いちゃって。で、またぞろ、さっさと復興するのかなと思ったら、世は戦国時代。世相混沌、カオスそのもの。復興の余裕なんかなくってさ、大仏さんなんか、屋根がなくなっちゃったもんだから、頭の部分を銅板で補っただけで、「露座の大仏」なんて呼ばれてたらしいわ。

それから、江戸時代になってやっと再建しようという動きが見られたわけ。龍松院公慶(りゅうしょういんこうけい)上人ってお坊さんが、徳川幕府に働きかけて再建造営にかかったのね。そして、焼失から100年以上も経って、やっと、元禄5年(1692年)に大仏さまの開眼供養、宝永6年(1709年)に大仏殿の落慶供養が行われたのよ。でもね、伽藍の大きさは、前の約3分の2に縮小されてしまったのね。なんか、もったいないわよね。その後も、明治維新にいたるまで、整備再建が行われてだいたい今のようなたたずまいになったらしいわ。

その後、明治政府による「廃仏毀釈令」などが出されて、存続自体が危ぶまれたこともあったらしいわ。また壊そうってことかしら。人間って懲りないわねー。だけど、こういった危機も乗り越えて、明治と昭和に大きな大仏殿修理などもしながら、維持に努め、平成10年には「古都奈良の文化財」として世界文化遺産にも登録されたってわけ。めでたし、めでたし。
The Tempyō Era (710 - 784) saw the temple's glorious days. However, as the period drew closer to the end, the temple began to slide into a long dark age. An earthquake in 855 hit the statue and ripped off its head. To repair the damage, a high priest called Shinnyo Hosshin-ō (Tathagata Dharma Prince) led the reconstruction project, which was completed in 861 by conducting the Eye-Opening Ceremony. But, soon a fire burned down the Assembly Hall and a storm destroyed the South Gate and the Big Belfry. Repair operations followed the disasters.

At the end of the Heian Period (794 - 1192), the conflict between the Ghenji and the Heike Clans became intense. The warfare between the clans caused the destruction of major parts of the temple premises including the Buddha's Hall in December 1180. Shunjō Bōchōgen, a priest, started the restoration the following year, and the Eye-Opening Ceremony took place in 1185, followed by the cosecration of the Buddha's Hall in 1195, and the comprehensive consecration of the entire temple area in 1203.

In the latter part of the Muromachi Period (1338 - 1573), the society was in a chaotic state. The nation had lost its central power and divided into many warlord fractions fighting over the dominance. Drastic social changes were every day events: the lower echelon toppled the upper and took over their positions, reversing the hierarchical order. This spirit of upward move filled the society and a war situation was ubiquitous throughout Japan. In 1567, the temple complex was destroyed again, but this time there was no one who would dare to plan for a reconstruction project. The Buddha statue was left, for long time, in the hall remains with the roof ripped off, and dubbed as "a Buddha Sitting in a Roofless House".

A movement toward the reconstrution had to wait until the Edo Period (1603 - 1867), when the high priest Ryūshō-in Kōkei appealed to the Tokugawa shogunate to rebuild the temple. One hundred years after the last destruction, the restoration finally took place; the Eye-Opening Ceremony of the Buddha statue and the consecration of the Buddha's Hall were held in 1692 and 1709 respectively. The size of the temple complex was however, reduced to 2/3 of the original one. A series of repair and maintenance operations have been carried out since then up until today.

Later in the Meiji Period (1868 - 1912), the temple was once again at stake when the movement to abolish Buddhism occured, which, the temple managed to overcome.

Major repairs were performed on the Buddha's Hall in the Meiji and Shōwa (1926 - 1988) Periods to maintain the temple in good shape. In 1998, Tōdaiji Temple was registered as a World Cultural Heritage site and is highly valued as an asset in Nara, an ancient capital of Japan.


「廃仏毀釈」ってのはさ、それまでは神社のなかにお寺があったり、仏さまと神さまが融合した状態にあったのを切り離そうとした神仏分離令という法律が出された結果、民間に起こった運動のことで、廃寺になったり、仏像などが焼かれたり、大変だったんだって。別に分ける必要なんかないじゃない?第一さあ、便利じゃない?ワンストップでお寺にも神社にも行けるんだから。

聖武天皇(701年〜756年、在位724年〜749年)
Emperor Shomu (701 - 756/Reign: 724 - 749)  
神武天皇から数えると第45代目の天皇で、お父さんは文武(もんむ)天皇で、お母さんは藤原不比等の娘の宮子さん。お父さんの文武天皇が亡くなったときはまだ7歳。いくらなんでも、7歳の天皇ってのは頼りないじゃない?てなことで、おばあちゃんが元明天皇として中継ぎ。ばあちゃんって言ってもまだ若かったはずよ。だって、息子の文武天皇も25歳で亡くなったんだから。若いのねえー、今じゃアンタ、25歳なんていったら遊びざかりよー。アタシなんて25歳のときなんか、クチバシがまだ黄色だったわよー。でさ、聖武天皇は、14歳になったときに皇太子になったのね。皇太子って言えば、たくさんいる子供のなかでこの人が将来天皇になりますって約束された人なのよ。で、おばあちゃんの次は叔母さんが天皇になるのね。これが元正天皇よ。おばちゃんもまだ若いわよ、37歳。アタシなんか37歳のときはまだブイブイ言わしてたわよ。え?アタシの年はいくつかって?いや〜ん、女性に年を聞くのはご法度よ〜ん。

そして、聖武天皇が即位したのは24歳のとき、724年のことね。この頃はさあ、藤原氏とか、貴族の力がどんどん強くなっていたのね。藤原不比等の孫である聖武天皇が即位したのも、藤原氏の差し金ってとこね。実際、貴族の争いとか反乱とか、大変な時代だったらしくて、これがイヤだったのね、きっと。聖武天皇は仏教に深く帰依し、全国に国分寺・国分尼寺を作り、そして大仏さんを作ったの。でもさ、天皇さんなんだから自ら木を切り出したり、運んだりはしないわよね。結局、労働するのは農民とかの一般ピープル。ただでさえ、租・庸・調(そ・よう・ちょう)とかの税も納めなきゃなんないし、もう、たまんないわよ。そこらへん、やっぱり雲の上の人にはわからないのよねえ。これって、今も昔も変わらないわよね。ほんと、もうちょっと考えて欲しいわよね。

こうして、平和を願った聖武天皇だけど、墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)って言って、新しく開墾した土地は自分のものになるとかで、貴族の荘園が増えていき、すべての土地と人民は天皇の所有物という公地公民制度が崩れて、天皇の力は弱まって行ったわけ。


Born to father Emperor Mommu and mother Miyako of Fujiwara, Emperor Shōmu is the 45th emperor. When his father Mommu passed away at 25, he was only seven years old. Too young to become a full-fledged ruler of the nation, his grandmother momentarily took over the reign as Emperor Genmei until her grandson grew up. When Shōmu was 14 years, he was assigned as the Crown Prince, and his aunt succeeded to the throne as Emperor Genshō at age of 37.

Shōmu assumed the throne at age of 24 in 724. In those days, the Fujiwara Clan was becoming an overwhelming political power. As Emperor Shōmu was a grandson of Fujiwara Fuhito, a strong figure of the clan, his enthronement was empowered by the clan's authoritative support. However, the emperor didn't want to see conflicts among clans. Wishing for a better society free from turmoils and epidemics, he earnestly devoted himself to Buddhism. His initiative to build provincial monasteries and convents as well as creating the Great Buddha Statue seemed effective solutions to the turbulent age, but he wasn't aware that all this would increase burdens on the citizens, who would be subjected to extra services in form of labor, in addition to their normal tax paying duties (levies in form of rice/labor or textiles/agricultural crops).

As the result of large-scale construction projects, the emperor had to see his authority declining. He was urged to approve humiliating laws to "Grant Hereditary Ownership of Lands for Three Generations" and to "Grant Permanent Hereditary Ownership of Cultivated Lands". Due to the enactment of these laws, the basic principle of "All People and All Lands Belong to the Emperor" was becoming obsolete. As the emperor was losing his power, the aristocrat began to increase their influence and ownership of lands.


聖武天皇って言えば、歴史上初めて内親王(天皇の娘)を皇太子にして、天皇の位を譲ったことで知られてるのよ。この皇女は安部内親王で後の孝謙(こうけん)天皇になったんだけど、もう一回天皇になってるのね。2回目の名前は称徳(しょうとく)天皇。なんでも、譲位した相手の淳仁(じゅんにん)天皇に行いを咎められて対立、「アンタ、生意気言うんじゃないわよ!もう天皇剥奪ね!」って言ったかどうかは知らないけど、淳仁天皇を廃止して、さっさと自分が天皇の位に返り咲いたってわけ。

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大仏の作り方
How to Make a Great Buddha Statue