Last update May 29, 2021

北の国の民族ゲルマン人 (3)

さまざまなゲルマン部族

原始ゲルマン人 (Proto-Germanic) がいろいろな部族に分裂し、その部族が大移動しながら他の部族と同化したり淘汰されたりすることで、基盤が作り上げられた中世ヨーロッパの歴史。ここでは、その舞台に登場する主なゲルマン民族についてまとめてみました。

族名 備考
アラン族
Alans
紀元後に北カフカス (North Caucasus) から黒海北岸地方を支配した遊牧騎馬民族。イラン系遊牧民族であるサルマタイ (Sarmatians) を構成した。4世紀の半ばにフン族 (Huns) に襲撃され、その一部となってゴート族 (Goths) 侵攻に加わり、民族大移動を引き起こした。
アレマン族
Alemanni
ドイツ南西部のライン川 (Rhine River) 上流地域を原住地とするゲルマン人の部族連合。3世紀に現在のアルザス地方やスイス北部まで領土を広げたが、496年にフランク王国に征服された。名前の由来は「All」+「men」から来たという説がある。フランス語やスペイン語など、ラテン語から派生した言語において「ドイツ」を意味する単語の語源となっている。
アヴァール族
Avars
5世紀から9世紀に中央アジアおよび中央・東ヨーロッパで活動した遊牧民族。ジェジェン (Geougen)、オーブル人 (Obrs) とも。フン族 (Huns) 亡きあとに現在のハンガリーの地を本拠に一大遊牧国家を築き、東ローマ帝国やフランク王国と接触した。
アングル人
Angles
西方ゲルマン人の一種族で、ユトランド (Jutland) 半島南部に位置するアンゲルン (Angeln) 半島一帯に住んでいた。その一部が6世紀にイングランド北東部に移住し、サクソン人 (Saxons)ジュート人 (Jutes) と同化して、後のアングロサクソン人の祖先となった。
アングロ・サクソン人
Anglo-Saxons
5世紀ごろ、現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部に侵入してきたアングル人 (Angles)ジュート人 (Jutes)サクソン人 (Saxons) のゲルマン系の3つの部族の総称。大陸のゲルマン人と区別するために、8世紀ごろからこの名称が使われるようになった。
アンブロネス族
Ambrones
ユトランド (Jutland) 半島を起源とするゲルマン民族で、テウトネス族 (Teutons)キンブリ族 (Cimbri) とともに故郷を後にし、共和政ローマに侵入した。紀元前105年のアラウシオの戦い (Battle of Arausio) ではローマを大破したが、紀元前102年の戦いでローマに敗れた。
エブロネス族
Eburones
古代ガリア (Gaul) 北東部のベルギウム(現在のベルギー)に居住していたゲルマン人部族だが、ガリア人の一派であるベルガエ人にも数えられる。ガリア全体をまとめてガリア戦争 (Gallic Wars) で共和政ローマと戦い1個軍団を壊滅させたが、後に反撃を受けて根絶された。
キンブリ族
Cimbri
ユトランド (Jutland) 半島を起源とするゲルマン民族で、紀元前2世紀後半にテウトネス族 (Teutons)アンブロネス族 (Ambrones) とともに共和政ローマを脅かし、紀元前113年から紀元前101年まで続いたキンブリ・テウトニ戦争 (Cimbrian War) でローマと戦った。ケルト人ではないかという説もある。
クァディ族
Quadi
ローマ帝国の時代に、現在のモラヴィアあたりに住んでいたとされるゲルマン・スエビ族 (Suebian) の一派で、マルコマンニ族 (Marcomanni) のとなりに住んでいたとされる。
クリミアゴート族
Crimean Goths
黒海周辺の土地とくにクリミア半島にとどまったゴート族 (Goths) のこと。ゴート族の中では最も弱く、最も無名であったが、ゴート族の社会において最も長く存続した。1500年代にクリミア・ハン国 (Crimean Khanate) に組み込まれた。
ゲピド族
Gepids
東ゲルマン系ゴート族 (Goths) の一派で、アッティラ (Attila) 死後のフン族 (Huns) を打ち破ったことで知られる。現在のルーマニア、スロバキア、ハンガリー、セルビアのあたりに王国を建てた。
ケルスキ族
Cherusci
紀元前1世紀から紀元1世紀ごろ現在のドイツの北西部ハノーヴァーあたりに住んでいたとされるゲルマン民族。スエビ族 (Suebian) やチャティ族 (Chatti)ヘルミノーネス族 (Hermiones) などと同じルーツを持つと言われる。ローマ帝国と戦ったが、おそらくフランク族 (Franks)アレマン族 (Alemanni) に吸収されたと考えられる。
ゴート族
Goths
かつてスウェーデンにあった「ゴート族の地」を意味するゴットランド (Gotland) から現在のウクライナに移動したが、その後、ゲルマン民族大移動によってイタリア半島やイベリア半島に王国を築いた。3世紀になると西ゴート族 (Visigoths) と東ゴート族 (Ostrogoths) の2派に分裂した。
サクソン人
Saxons
ザクセン人とも呼ばれ、北ドイツ低地ニーダーザクセン地方で形成されたゲルマン部族である。その一部は4世紀から5世紀にかけてアングル人 (Angles)ジュート人 (Jutes) とともにブリテン島に渡ってアングロ・サクソン人となり、北ドイツに残ったザクセン人はフランク王国に征服された。
サリー
Salians
リプアリー族 (Ripuarians) とともにフランク族 (Franks) の2大支族をなし、現在のオランダにあるライン川デルタ地域に住んでいたと言われる。フランク王国建国の中心となった。
サルマタイ人
Sarmatians
紀元前4世紀から紀元後4世紀にかけて、ウラル南部から黒海北岸にかけて活動したイラン系遊牧民集団。スキタイ人 (Scythians) の国を滅ぼしたが、後にフン族 (Huns) の侵入にあい崩壊した。
ジュート人
Jutes
ユトラント半島 (Jutland) 北部あたりを起源とする西方系ゲルマン人。民族移動時代に北方系のデーン人 (Danes) により圧迫され、アングル人 (Angles)サクソン人 (Saxons) とともにブリテン島に移住した。
スエビ族
Suebi; Suevi; Suavi; Suevians
バルト海 (Baltic Sea) 南部を起源とし、紀元前から ゲルマニア (Germania) に住み、ローマ領や ガリア (Gaul) の地へ侵略を繰り返し、最強の民族として恐れられた。民族大移動の際にイベリア半島に移動し、ガリシア王国 (Kingdom of the Suebi) を建てたが、585年に西ゴート (Visigoths) に滅ぼされた。
スキタイ人
Scythians
紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて、現在のウクライナを中心に活動していたイラン系遊牧騎馬民族・遊牧国家。農耕スキタイや遊牧スキタイ、王侯スキタイなど、さまざまな種族がいたが、サルマタイ (Sarmatians)によって国を滅ぼされ、農耕スキタイに同化した。また、ゲルマン人と混血してスラヴ人 (Slavs)を形成した。
スラヴ民族
Slavs
カルパチア山脈 (Carpathian Mountains) 周辺を原住地とし、スキタイ人 (Scythians)サルマタイ人 (Sarmatians) の他、フン族 (Huns)、ゲルマン人が混血、同化して形成された民族。
テウトネス族
Teutons
ユトランド (Jutland) 半島を起源とするゲルマン民族で、紀元前113年ごろからキンブリ族 (Cimbri) とともにローマと戦い、いくつかの勝利をおさめたが、紀元前102年のアクアエ・セクスティアエの戦い (Battle of Aquae Sextiae) でローマに大敗した。
デーン人
Danes
現在のデンマークおよびスウェーデンのスコーネ地方 (Scanian provinces) に居住した北方系ゲルマン人(ノルマン人)の一派であり、現在のデンマーク人の祖先にあたる。民族移動時代にユトランド (Jutland) 半島まで進出し、先住民であるアングル人 (Angles)サクソン人 (Saxons)ジュート人 (Jutes) を圧迫し、ブリテン島移住へと追いやった。9世紀にはヴァイキング (Vikings) として西ヨーロッパ一帯で海賊活動を行い、七王国時代のイングランドに侵攻した。
西ゴート族
Visigoths
東ゴート族 (Ostrogoths) とともにゴート族 (Goths) の2つの派をなす。住んでいた土地が痩せて定住に適さなかったため、傭兵としてローマ帝国領内に移り住むようになった。5世紀に西ゴート王国を建て、フン族やイベリア半島に侵入していた他のゲルマン諸族と戦った。実質的に西ローマ帝国を統治したこともある。名前の由来は方角を示すものではなく、(Visi) はゴート語 (Gothic language) で「良い」を意味するという説がある。
ノルマン人
Normans
スカンディナヴィアおよびバルト海沿岸に原住した北方系ゲルマン人のことで、民族的な意味ではヴァイキング (Vikings) とほぼ同じ。
東ゴート族
Ostrogoths
西ゴート族 (Visigoths) とともにゴート族 (Goths) の2つの派をなす。ドニエプル川 (Dnieper) の東側に住んでいたが、フン族 (Huns) の圧迫により移動し、5世紀に東ゴート王国を建国した。名前の由来は方角を表すものではなく、「小石の海岸線に住む人々」という意味の語が省略されてこの名前になったという説がある。
フランク族
Franks
ローマ帝国時代後期から記録に登場。ライン川 (the Rhine) 中流域に住んでいたゲルマン部族の総称で、サリ族 (Salians)リプアリー族 (Ripuarians) に大別される。前者は西ヨーロッパにおいてフランク王国を建国し、後者はコロニア(現在のケルン)を支配した。フランク (francus, franci) の名前は「勇敢・大胆な人々」あるいは「荒々しい・おそろしい人々」という意味であるとされている。
ブルガール人
Bulgars
中世に中央アジアから移動し東ヨーロッパで活動したテュルク系遊牧民。人種的にはモンゴロイドに属した。そのうちの一派はバルカン半島のトラキア地方 (Thrace) に侵入し、先住民であるコーカソイドの南スラヴ人と言語的にも人種的にも同化し、現在のブルガリア人の先祖となった。
ブルクテリ族
Bructeri
紀元前100年ごろから紀元350年ごろまで、現在のドイツ西部にあるトイトブルク森 (Teutoburg Forest) 一帯に住んでいたゲルマン人の一派であり、トイトブルク森の戦いにも参戦したが、後にローマに敗北した。
ヴァイキング
Vikings
ヴァイキング時代 (Viking Age) と呼ばれる約250年間(800年~1050年)に西ヨーロッパ沿海部を侵略したスカンディナヴィア、バルト海沿岸地域の北方系ゲルマン人。民族移動の際に南下して、9世紀には活発な侵略を行ない、中世ヨーロッパに大きな影響を与えた。
ヴァンダル族
Vandals
現在のポーランド南部に住んでいた東ゲルマン民族の一派。ゲルマン民族大移動の際に、ゲルマニア (Germania) からローマ領内へ侵入し北アフリカに移住してカルタゴを首都とするヴァンダル王国を建国した。アフリカに移住するまえに一時的に住んだスペインのアンダルシアの語源は (Vandalusia) である。また、破壊行為を意味するヴァンダリズム (vandalism) の語源ともなった。
ブルグント族
Burgundians
スカンジナビア半島を起源とし、バルト海上にあるボーンホルム島に移住し、さらにヨーロッパ大陸へと移住した東ゲルマン族。5世紀にブルグント王国を築いた。後にフランク王国の王クローヴィス (Clovis I) と結婚し、カトリックに改宗させたクロティルダはブルグント族 (Clothilde) の王女だった。
フン族
Huns
チュルク語族 (Turkic languages) を話す北アジアの遊牧騎馬民族であり、その起源は中央アジアのステップ地帯であるとされる。4世紀中ごろから西に移動を始めたため、東ゴート族、西ゴート族を圧迫して、ゲルマン民族大移動 (Migration Period; Barbarian Invation) を誘発した。5世紀中ごろのアッティラ (Attila の時代に統一帝国を築き最盛期を迎えた
ヘルミノーネス族
Herminones; Hermiones; Irminones
1世紀ごろまでにエルベ川 (the Elbe) 流域に定着していたゲルマン民族の大部族で、現在のバイエルン (Bavaria) やボヘミア (Bohemia) などに領土を拡大した。スエビ族 (Suebi)ケルスキ族 (Cherusci) などもこれに含まれていたとされる。
ヘルール族
Herules
3世紀から5世紀に東ゴート族 (Ostrogoths)フン族 (Huns)、東ローマ帝国に征服されたルマン人の放浪部族部。西ローマ帝国最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルス (Romulus Augustulus) を廃位させたオドアケル (Odoacer) はヘルール族出身とも言われている。
マルコマンニ族
Marcomanni
スエビ族 (Suebian) を中心とするゲルマン部族連合で、ローマ帝国最盛期に現在のボヘミアあたりに強大な帝国を築いた。名前の由来は、古ゲルマン語の「march」と「men」を組み合わせたという説がある。
ランゴバルド族
Lombards; Longobards
スカンディナヴィア半島南部にあるスコネン (Schonen) を発祥の地とするゲルマン部族。人口増加と土地不足のため故郷を離れスコリンガ (Scoringa) でヴァンダル人 (Vandals) を破った。6世紀後半にはイタリア半島の大部分を支配するランゴバルド王国を築いた。名前の由来は、男性があご髭(ひげ)を伸ばしていたことから「long beard」(長いあご髭)と呼ばれるようになったという説がある。
リプアリー族
Ripuarians
サリー族 (Salians) とともにフランク族 (Franks) の2大支族をなし、現在のドイツのライン川流域にあるケルンに住んでいたと言われる。名前の由来は river people (川の人々)という意味でからきたという説がある。


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