Posted in 2002


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Posted in 2002


製造業英語あれこれ




この数日、仕事である調べものをして非常に疲れた。アタマというよりも正確に言うとその中の「脳」が疲れた。脳の血管がなにか、こう、絡まりあっているような、もつれ合っているような、何とも形容しにくい「疲れ」である。ちなみに現在の脳の状態を表現してみると、右の画像のようになる。中心の丸い部分が、疲れている部分だと言えよう。

これだけ疲れたのだから、当然何か見返りがないと面白くない。仕事なので普通なら「売上増」、そしてそれに伴う「ボーナスアップ」とかであれば非常にうれしい。しかし、こういう時代だからそれはない。第一、全く「金」にならない仕事である。ボーナスの支給もあったが、10年前に比べると4分の1もなく、まさに「微小」と言うべきかもしれない。しかし、こういう時代である。と、何度も繰返しながら自分に言い聞かせているのかもしれないが。とにかく、こういう時代であるわけだから、小さな会社ではボーナスなんか出ないところもあるようで、その点、少しでもボーナスを出せた会社は立派だ。と言って、わたしは会社をかばう体制派でもない。しかし、出ないものは出ないのであり、そこらへんを会社相手に主張したり、ケンカをしたりというのはいただけない。そんなときには、「はい、少しでもいただけるだけでも…」とか言ってありがたくいただいておくほうがよほど利口なやり方だろう。もしかして、景気が良くなれば、印象が良かった分だけ上がるかもしれないというものだ。

ということで、ボーナスの話はこれくらいにして本題に戻ると、何か「見返り」があったかということになる。どういう点を「見返り」というのか、その定義にもよるだろうが、無かったとも言えない。自分の知らなかった新しい考え方に遭遇し、なかなか刺激があった。新しい知識を得るということは、うまく活かせば、自分の考えていることが広がる。分野の違うところに形を変えて付け加えたり、視点を変えて考えてみたり、ダイナミックな思考へと発展する。これはとても面白い。そして、そういったものは、金では買えない。だからボーナスが少なくても、もらえなくても、平気なのだ。(生活していけないレベルになるとちょっと困るが…)ということで、一体何を調べていたのかと言えば、タイトルからも推測できるように、製造業の技術について、である。

ご存知のように、いま日本の製造業は元気がない。それは、不況でモノが売れないということもあるし、市場が飽和状態にあるということも原因である。だから今製造業は必死である。空洞化が叫ばれて久しいのもあり、生き残りをかけている。そんななかで、いろいろな理論や手法などが研究され、検討され、採用されたりしている。そういった考え方の大半は欧米から来たものである。ひとところ前は、トヨタのかんばん方式など日本の製造技術が欧米で研究されたが、今度は逆に日本がむこうの考え方を勉強している時代だ。その中のひとつである TOC という概念を、自分が理解できた範囲でメモしておこうと思う。



 TOC というと、英文の編集物などをやっているとつい Table of Contents 、つまり「目次」のことかな、などと思ったりするが、「目次」で日本の製造業は救えないので、まず違うだろうとわかる(こんなことがわかっても別にえらくはない)。正解は Theory of Constraints で「制約条件の理論」ということだ。つまりどういうことかというと、鎖があるとする。鎖というと、ご存知のように、輪がいっぱい連なったものである。そこで、そのうちの輪のひとつが切れそうだとする。すると、当然のことながら、鎖全体の強度は弱くなる。両方から引っ張ると、その弱い輪のところから切れてしまうのだ。弱い輪が全体の鎖の足を引っ張っているんだな、ということで、その鎖を入れ替えてもいいし、とにかくその部分を強くする。すると鎖は強くなりました!めでたし、めでたし―――というわけではない。こんなに単純な話で製造業は強くはならないわけである。一番弱い輪を強くしても、二番目に弱い輪があるわけで、今度はその二番目に弱い輪が一番弱い輪になるわけだ。で、その輪を強くする。そうすると、また、三番目に弱い輪があるわけで、今度はそれが一番弱い輪になる。そして、また、その輪を強くしても… (以下略)ということで、こんなふうに延々と考え続けていると、アタマの中が完全にループしてしまう。要は、弱いところを強化したり、取り除いたりする方法では、解決できないということなのだ。

この弱いところが bottleneck であり、全体がめざしている目標達成を妨げているということである。一般的に考えると、じゃあ、ボトルネックになっているものを排除してしまったらいいではないか、ということで、「ボトルネックの排除」とかいう題目があがってくるのかなと思いきや、「ボトルネックの活用」と来るのである。製造業について知識のない自分にとって、これは正直ビックリした。記述の間違いかな?誤植かな?と思ったくらいである。しかし、あくまでも「活用」なのである。

全体の足を引っ張る存在を、一体どのようにして活用するのか、と混乱してきたところで、少し視点を変えてみよう。遠足でも何でもいいが、「集団で歩く」ということを考えてみる。図にすると以下のようになる。

図A)

ご覧のように、先頭から三番目の人物(仮に「金太郎B」と呼ぶ)が「問題児」らしいというのがわかる。この絵では、何やら立ち止まって遊んでいるように見えるが、一番歩くスピードが遅い人物だ、ということにしておく。金太郎Bの歩く速度が遅いので、その後に続く者たちも遅れてしまう。一方、先頭を歩いている二人はどんどん先に行ってしまうので、グループの列は分裂してしまう。じゃあ、どうするのかというと、金太郎Bにみんなの先頭を歩かせるというのだ。ははあ、なるほど。そうしておいて、後から来るみんなが金太郎Bを押し出すというわけか… などと思っていると、そうではない。みんなが金太郎Bのペースで歩くというのである。何?じゃあ、列全体のスピードは金太郎Bのスピードになり、遅くなってしまうということだから、全体的にパワーが落ちるではないか!という発想をしてしまうが、どうもそんな単純なことではないらしい。

図B)

製造業というのは、とにかく、速く作ればいいということでもなさそうである。大量に速く作りすぎても売れなければ意味がないのであり、作りすぎた在庫をたくさん抱えるというのは、それだけで利益がマイナスになる計算である。遠足も、速く着くよりも、みんなが無事に着くほうが大事だということである。加工のスピードが速い工程がどんどん部品を作ってしまっても、後の工程の部品が遅くて間に合わなければ、半製品の在庫をたくさん抱えてしまい、ムダになる。しかし、一番遅い工程に合わせて作っていけば、ムダなものを作ってしまう必要もない。だから、ボトルネックとされているところ(専門的には「制限資源」などと言うようだが)に基準を合わせて生産計画を立てればうまく行くということらしい。製造業がめざしているのは「全体最適」である。各工程が効率よく、ムダなく動いて、必要なものを、必要なときに、必要な量だけ生産することが求められている。多すぎても、少なすぎてもいけないし、速すぎても遅すぎてもいけないのだ。また、ある部分だけが突出する「部分最適」ではダメなのだ。

次にTOCの理論の手法としてDBRという考え方がある。これは、 Drum, Buffer, Rope の頭文字を取ってそう呼ぶのであるが、文字通り、「ドラム、バッファ、ロープ」である。この三つの要素を組み合わせることでTOC理論が実践できるということらしいが、ドラムは太鼓で、戦闘開始のときなどに太鼓を打ち鳴らしたりすることから、これはリズムを取る役割を意味している。バッファは、何か予想以外の事が起こった場合のショックアブソーバの役割、ロープは縄で、首に縄をつけるというから、これは「牽引」的な役割である。これらの三つを盛り込んで図にしたのが下である。

図C)

先に金太郎Bを先頭に持ってくるという話をしたが、現実レベルで「工場」を考えると、遅い工程をすべて最初に持ってくるというわけにはいかないので、順番は最初の並びどおりになっている。まず、金太郎Bが太鼓を鳴らしている。これは、金太郎Bのペースを基準とする、という意味で、他の者は金太郎Bの太鼓に合わせて歩くという比喩である。次に金太郎Bの前に  Buffer があるが、これは、予期しない事が起こった場合――つまりここでは、金太郎Bの前の人物が転んでしまったとする。そうすると、金太郎Bは立ち止まってしまうので、ますますスピードが遅れてしまう。これを防ぐために、一人分転んでもいいようなスペースを空けている。これが  Buffer のたとえである。次に、先頭の者がロープで金太郎Bを繋いでいるが、これは、ただでさえ遅い金太郎Bがこれ以上遅くならないようにしているという訳である。このように、 Drum, Buffer, Rope を上手く使うことで、全体の最適をめざそうというのである。

当然、TOCの理論はこんな単純な説明では、とても語り尽くせないだろうと思うし、こういった考え方も時代とともにどんどん変化するわけであり、決して普遍ではない。しかし、面白いと思ったのは、製造業でのモノの見方の基準やパラダイムといったものが、普段自分が発想しているベースとはかなり違うということである。まさに異質の世界である。こういった考え方に触れるということは、理論的にも難解な部分が多く、とてもこのアタマではついていかないが、それでも苦労してぶつかってみると、何か新しいものが生まれる予感がする。異文化に接するということも、結局こういうことなのかもしれない。

とにかく、明日はどうなるか想像できない今の世の中。だからこそ、新しい未知のものにどんどんぶつかって、自分自身も絶えず脱皮し、進化していかなければならないのだ――と痛感。たまには安らぎやゆとりも欲しいが、挑戦もけっこう面白い。